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2017年8月13日 (日)

文句あるなら、今すぐにでも塩を作ればいいだろ、この田夫野人の白丁め!

韓国昔は東海にも塩田があったが、日帝が塩を専売にして失われた〜チョンジョンヨンの文学で習う私たちの歴史

昔は東海にも塩田があった。まさか?本当に?あなたはこう言って信じられないという表情を浮かべるかもしれない。私たちの記憶の中に東海塩という等式は成り立たないからだ。

塩は西海で生産する天日塩を私たちの固有方式と思っている人が多い。しかし、天日塩は伝統方式で製造した塩ではない。天日塩の歴史はせいぜい100年ほどで、日帝が残した残滓の一つだ。

日帝は大韓帝国の経済権を奪うために紅参朝鮮人参、タバコ、塩の専売に関心を持った。当時、我が国と日本は海水を沸かして作る塩、すなわち煮塩を生産した。この方法は塩の生産費が多くかかり国家が独占しても大きな利益を残せなかった。

また、清国からこっそりと持ってきた清塩の価格が低かったので、日帝は塩生産費削減のために相当な努力を傾けた。その結果、日本植民地の台湾の塩製造方法、すなわち天日塩製造法を我が国に導入することにした。日帝は初め仁川インチョンに天日塩田を作り、この実験はとても成功した。その後、西海のあちこちに天日塩田ができ、結局、日帝は塩専売を施行することができた。塩の大量生産で日帝は経済的に大きな利益を得た。こうして私たちの塩である煮塩は天日塩に席を渡して完全に痕跡をなくすことになった。これが天日塩の歴史だ。

残念なことに私たちの塩である煮塩を素材に扱った本はそれほど多くない。
中略煮塩が出てくる本の紹介

このようにして作った煮塩は天日塩よりあまり塩辛くなくて栄養もさらに豊富だ。もちろん、私たちの伝統塩である煮塩がすべての面で天日塩より良いと見ることはできない。しかし、私たちの昔のものは何か、正しく知ることが必要だ。

最近、国内で<軍艦島>という映画が開封された。私たちは軍艦島を残忍な歴史と記憶する。日帝は戦争に必要な石炭を採掘するために朝鮮人を強制的に徴用し、多くの若者が軍艦島で名もなく死んでいった。しかし、日本の歴史は私たちと全く違う。2015年7月、ユネスコ世界遺産に軍艦島を日本の明治維新時代の産業革命施設に上げた。

同時期、ユダヤ人もまた、私たちと似た苦痛を味わった。ナチの蛮行も日帝と大きく異ならない。しかし、結果は私たちと正反対だ。戦犯のドイツは誤りを謝ったが、日本はそうではない。同じ事件にもかかわらず、なぜこの様な結果を招いたのだろうか?

筆者は私たちが私たちの歴史を世界へ粗雑に広報したためと考える。ユダヤ人はナチの大虐殺行為、すなわちホロコースト(Holocaust)を主題に映画小説ドキュメンタリーなどを作って全世界に伝えた。そのような側面から見る時、<軍艦島>もやはり私たちの辛い歴史を知らせる小さな努力と考える。

最近、この様な試みが少しずつ活発になっていることを非常に肯定的に評価する。私たちは正しい歴史を知らなければならず、歴史を勉強しなければならない。それでこそきちんと広報できる。作家はこの様な歴史を積極的に知らせなければならず、読者は関心を持つことで私たちの歴史が正しく立てられる。この様な趣旨で<文学で習う私たちの歴史>コーナーを企画した。

チョンジョンヨン作家
ソースデジタル経済(韓国語)<チョンジョンヨン作家の文学で習う私たちの歴史>昔には東海にも塩田があった。正しい歴史

昔からのものを努力して復活させよう、なんて気概は無いのね
卑しいチョンらしいや

独立して何年たってるんだよ、煮塩でもなんでも有用なら復活してるだろ
あと自分たちをユダヤ人と同一視するのはやめろ

塩田時代

揚浜式塩田

塩田として古いのは、今も能登の残されている揚浜式塩田が約1200年前平安時代には文献として出ており、
赤穂などで発掘調査も行われた。基本は粘土板の上に砂をまき、その上に海水を撒いて蒸発させて砂表面に塩を析出させ、
その砂を集めて海水で溶かしてかん水をつくり、釜で煮詰める方法です。

入浜式塩田

昭和30年代まで行われた入浜式塩田は、約500年前室町時代末期には行われています。
基本は海水満潮面よりやや低い所に砂でできた塩田をつくり、毛細管現象を利用して海水を表面に導き砂上に塩を析出させ、
その砂を集めて海水で溶かしてかん水をつくり、釜で煮詰める方法です。

何を言ってるのだカス朝鮮人は

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